「気持ちの共有する」
 いつまで夏が続くのだろうと思っていましたが、ようやく朝晩が涼しくなり、子どもたちも外遊びを楽しむことができるようになってきました。
 園庭には秋の花や風に吹かれて落ちてきたイチョウの葉や姫リンゴの実があります。小さい子は大きい子がしていることを見て、同じようにあつめたり、遊びに使ったりしています。そして、とてもうれしそうに「こんなにあるよ」「こんなのできたよ」と見せてくれます。
 毎年同じような光景を目にすると、子どもたちの遊びが受け継がれていることを感じます。改めてみると、子どもたちにとっては、何だろう?楽しそう、やってみよう、がとても新鮮なことなのだなあと思いました。子どもたちと一緒に過ごす中で、うれしい、楽しい、悲しい、いやだなー、がいつも新しい気持ちで共有することができると良いなあと感じました。
    (「2024年度10月めぐみだより」より)

「深める」
 夏休みが終わって登園してきた子どもたちは、心なしか顔つきが違ってみえます。多くの体験をしたことが、子ども達を自信へと導いているのでしょう。普段にはできない経験することによって多くの学  びをしたのではと思います。そのような経験は、友達に話したりまた遊びの中に取りいれることのなかで、自分だけでなく友だちと協力して新たな活動へと発展していきます。大人にとってはさほどのことでないとしても、子ども達には、将来につながるものとなるかもしれないのです。二学期もたくさんの経験をしましょう。
     (「2024年度9月めぐみだより」より)

「祈ること」
 今年は雨がほとんど降らず、その上気温が異常に高いためにいろいろなところで不都合が起きています。特に自然と共に生活してきた人々は途方に暮れています。しかし、私たちは思いやる気持ちを持っています。何とかできないかと一生懸命考えます。この気持ちが大事だと思います。人は壁にぶつかった時に必ずその壁を乗り越えようとします。同志を募って立ち向かおうとします。人間には計り知れない力が備わっていると思います。この力は幼い時に培われます。遊びの中で失敗を繰り返しながらできるようになったという喜び、友だちと同じ空間で共同で作り上げていく楽しさ、いつまでも続く友だちなど、そのすべてが人を作り上げていく。
 子どもたちにお祈りしたい人というと、何人かが手を挙げます。「神様、幼稚園に来れてありがとう。」「お休みしている人を元気にしてください。」「地震にあった人をお守りください。」「いいお天気をくださってありがとう。」などなど、子どもの素直な気持ちが伝わってきます。祈りはどこでも誰にでもできるものです。手をあわせて感謝する。子どもたちは知らない人の事までも祈ります。自分が祈るように友だちも祈ってくれると信じて。一入暑い夏になりそうです。水分補給、暑さ対策をして楽しい夏休みをお過ごしください。
   (「2024年度7,8月めぐみだより」より)

「子どもの気持ちを知るには」
 子どもは大人と違って目線が低いので思わぬものを見つけます。小さい子がまいごになるのはこの目線の低さに関係しているとのことです。例えれば林の中を歩いているようなもので、足しか目に入っていないのです。だから人ごみに行くときには手をつないで歩く方がいいという事です。子ども同士の遊びは少しづつ友だちを意識し始め、同じ空間にいて同じ遊びをすることによって一緒という感覚を味わいます。その後道具を貸し合ったり、一緒に同じ場所で遊び始めます。今まで経験したことのない遊びや友だちとのかかわりの中でおおくのことを学んでいきます。よいことも悪いことも一通りやってみます。ダメと言われることは特に面白がってやります。いたずらが過ぎた時にはちゃんと叱らなければなりません。遊びをみつけることに関しては子どもは天才です。出来れば一緒にやってみれば子どもの気持ちがわかるかもしれません。何が面白いんだろうと思うこともあります。子どもの思いを受け止めようとするとき、親自身が子どもになったり、大人になったりできるといいのでは。
     (「2024年度6月めぐみだより」より)

「友だちとのかかわり、遊びの中から学ぶ事」
 大人だと状況の変化を察するのに時間はあまりかかりませんが子ども達はそうはいきません。少し場所が変わるだけでドキドキしたり、歩が進めなくなったりします。親にしてみれば「去年一年通ったじゃない。」と言いたくなります。でも子供にとっては初めてのところに近いのです。1階から2階になっただけで今までとは違った景色が見えるのです。でもひと月もすると年中長は去年のことを思い出して動き始めます。年少児は覚えたことからやってみます。園庭の虫たちも同様に活動を始めます。ダンゴムシが出てきて大喜びの子どもたち、迷惑なのは虫嫌いの大人とダンゴムシ。年長児にもなると捕まえるだけではなく、何を食べるのか、どんなところに住んでいるのかなど本を持って来て調べ始めます。得た知識によって環境を整えようとします。自分で獲得した知識は定着し次の興味へと移っていくでしょう。また周りにいた子どもたちも学習できたのではと思います。友達のすることは一番刺激になり、学びになるとおもいます。仲間と遊ぶことはお互いに良いことも争いも相手を意識する良い機会になると思います。自分を主張して遊ぶことは相手の意見も聞かなければならないことを知ります。いやな思いを経験することは自分を見つめるいい機会です。
     (「2024年度5月めぐみだより」より)

「こぎだそう」
 今年度は「こぎだそう」の年主題に基づき保育を進めていきます。船の下は水でとても不安定です。バランスよく乗らなければひっくり返って水面に投げ出されてしまいます。船に乗っている人同士の信頼と気持ちの一致が大切になっていきます。新年度は誰もが少なからず不安を持っています。初めて一人で知らないところに入るという事はとても大変な事ですが送り出す側が「大丈夫」と信じることが子どもに安心感を伝える最大の手段です。保育者は一人ひとりのペースに合わせながら関わっていきます。4月は特に集団の中ではどうすればいいかを知っていきます。必死だった一週間くらいが過ぎると緊張がほぐれて行きたくないと泣く子も出てきます。子どもの気持ちを受け止めながらゆっくり園生活に慣れてほしいと思います。コロナウィルスの為に生活が制限されていた子どもたちが他人と一緒に物事を作り上げていく事はとても難しいと考えます。だから、大人になったこの子どもたちの生きる社会が人とのつながりを大事にし、自分も大事にすることのできる子どもにと願って保育をしたいと思います。おなじ船に乗ったもの同士思いが行違わないように何が子どもの為なのかよく考えて関わっていきたいと思います。
     (「2024年度4月めぐみだより」より)

「心の育ち(思いやりの心)」
 三学期はあっという間に過ぎていきました。たくさんの経験をして子どもたちは成長したと思います。体の成長はさることながら何よりも心の成長が目立ったと思います。自分が一番だった子どもが譲ることができるようになり、できないと直ぐに諦めていた子どもがもう一度やってみようと挑戦したり、長続きしない子どもが集中して出来るまで頑張ったり、自分の考えをみんなの前で言えるようになったりと上げるときりがありません。仲間に刺激されて出来るようになっていったのだと思います。何よりも思いやる気持ちが育ったと思います。現代は相手の考えや思いを知ることが難しくなっています。本音で語ることが少ないと思います。幼稚園時代は本音100%です。ぶつかって嫌な思いをしたり、相手にいやな思いをさせたりしてどうすればいいかを学んでいきます。自分の思いだけではうまくいかないことを知り、相手がどう思っているかを知ることも大事だとわかります。ここに至るまでには多くの葛藤があります。自分たちで解決できたときにお互いに赦し合うことの心地よさを覚えると思います。この事は一生の宝物になると思います。感謝することも相手を思いやることとつながるのではないでしょうか。食べられることについても当たり前と思う人とありがたいと思う人がいる。人生を嘆いてばかりの人とポジティブに受け止める人がいる。笑顔でいる人と不平を言ってばかりの人がいる。どちらが人にいい影響を与えるだろうか。災難が降りかかってきたときに早く立ち上がれる人は感謝して日々を過ごしてきた人だと思います。前を向いて明るい笑顔で歩くとき何かが変わると思います。卒園する子どもたちが思いやりと感謝と祈りを忘れずにいてほしいと願います。どんなときにも手を差し伸べてくれる仲間がいることを憶えていてほしいと思います。まずは親や周りの大人が見本を示したいと思います。子どもたちはよく見ていますよ。
 小学校に行っても遊びにきてください。会うのを楽しみにしています。
     (「2023年度3月めぐみだより」より)

「感情をわかちあう」
 一番寒い時期に咲く梅の花はすがすがしさえ覚えます。近所の方が盆栽を楽しんでいらして30年前に紅白の梅の盆栽を幼稚園に持って来てくださいました。盆栽の心得のない私は終わった後が分からず地植えにしました。紅梅は枯れてしまいましたが白梅は毎年花を咲かせ少しづつ大きくなっていき今に至っています。梅の花をみるたびにその方のことを懐かしく思い出します。自分の楽しみや気持ち、能力を他者と分け合うことができる力は幼児期に育まれると言われています。幼稚園に入ってきて初めて遊ぶと躊躇なく遊び始める子、立ち尽くす子、遊んでいる子に近づく子と様々です。ひと月過ぎると友だちと遊び始めます。かかわりを持ちながら自己主張も入ってくるため喧嘩が始まります。この喧嘩が大事で「ダメでしょ、仲良くしなければ。」と止めてしまうと言いたいことを言えないままになってしまいます。そうすると相手の気持ちもわかりません。気持ちのキャッチボールが出来ないのでいやな思いだけがいつまでも残り解決にはなりません。喧嘩の仲裁に入るときに互いの気持ちを相手に伝えられるように聞いてあげなければなりません。「そういうことだったのか」とわかることによって気持ちを分け合うことができるようになります。もちろんすぐに切り替えられないときもあり、ひとりでじっと考える時間が必要な時もあります。この感情を分かち合う経験は大人になっておもいやりとなって育ち、周りの人と良い関係を気づく基礎になります。
     (「2023年度2月めぐみだより」より)

「やってみたいことを自分で決める」 
 世界中の人々が「あけましておめでとうございます。」と心からお互いに挨拶できる日が一日も早く来ますようにと祈ります。新年早々大きな地震が起こり現地の方々の心労はいかほどかと思います。早い復興を願います。
 やってみたいと思うのはどういう時でしょうか? 楽しそうだな、自分にもできそうだな、みんながやっているから、などなど。大人も子どもも周りに進められてやるのではなく、自分で決めることが大事なのではないでしょうか。習い事の調査でスポーツ教室に通っている子は特定の部位に力はつくが他人と比較されやる気や達成感が失われたり、身体を動かす時間が少ないため運動の能力が相対的に低いという結果が出たそうです。何を意味しているかというとトレーニングでする運動より自分たちでやりたいと思ってする遊びこそより体のあらゆるところを使っているという事です。子どもだけの遊びはルールを自由に変え、、遊びの種類も多様なのでおのずと使う場所が多様化するという事でしょう。やってみたいと子どもが思えるように大人も一緒に楽しんでください。そうすることにより子どもとの距離が縮まり、思春期になってもあまり問題が起きないと思います。やる気を育てるために親の思いを押し付けづ、子どもの思いを聞きすぎず、お互いに考えを話し合うことも必要かもしれません。
     (「2023年度1月めぐみだより」より)

「他者を思うこと」 
教会の暦ではアドベントの前の日曜日が一年の終わりになります。日本では12月が年末になります。いづれにしても一年を振り返っていろいろと考える月となります。同時に子どもたちにはクリスマスやお正月と物をもらう事の多いときでもあります。もらうことが当たり前の事となっているのが気になります。イエス様の誕生日であるクリスマスの意味を知り、貰うこと以上にプレゼントすることの方がどんなに嬉しいかを体験します。さらに会ったことのない人のために自分のできるお手伝いをすることによって献金をする。そのことが助けになることやミンダナオという国を知り、世界に目を向けるきっかけとなります。他者を思うことは相手を理解し共通の場に立つという事です。フラットであることが重要でどちらかが優位になると争いが起きてきます。国の正義と称して争いを続けている以上は手をつなぐことは難しいと考えます。「僕たちは何も悪いことをしていないのに」と叫ぶ子供の声にどのように答えればいいのかと悩むところです。大人が良い見本を示すことが必要ではと考えます。競争することと争うことは同じではないという考えに立って子どもたちと活動していきたいと思います。よいクリスマスと新年をお迎えください。
       「2023年12月めぐみだより」より

「深まる」
子どもはいつも動き回っているという印象が強いので静かにしているとどこか悪いのではないかと心配になります。大人でも一人でいたいと思うことがあるように子どもも然りです。頭の中を空っぽにするときも必要です。沈思黙考という言葉があるようにより深く考えたい時じっとしているのではないでしょうか。この時間と空間を大事にしたいと思います。子どもが一人でいる時間はなかなか貴重です。あれこれ聞かずに子どもが動き出すまで静かに見守ってあげたいですね。もちろん聞いてと言ってきたときにはちゃんと聞いてあげてください。現代は時短、速攻と急がされて生活を送っています。時間をかけて考えることが少なくなりました。時には思いを巡らす時間を楽しむのもいいのではと思います。子どもが遊びの中で手をとめるとき何かが起きています。その何かを大人は推察しつつ子どもの気持ちに寄り添えるといいと思います。余計なことを言わず子どもの考える時間を静かに見守っていきたいですね。秋の夜長を何に使いましょうか。

「人はなぜ争うのだろうか」
家庭のなかの争いごとから国内の争い、あげくは国と国との争い(戦争)までいたるところで起きています。誰もがその訳を知っていてどうすればいいかもわかっていると思います。しかし、「ごめんなさい。」までに時間がかかってしまう。争いの始まりは些細な事だったり、お互いの理解不足からです。相手より優位に立ちたいという思いが生じた時いろいろ画策するのです。勝つためにどうするかを考えるので普段してはいけない事、考えないことを行動に移してしまうのだとおもいます。穏やかに過ごしたいと思う時、私たちはどうすればいいのでしょうか。まず自分の気持ちを安定させることでしょう。怒りを抑える工夫も必要になってくるでしょう。相手を許すこともできるといいと思います。何よりもお互いに本音で話せることではないでしょうか。相手の気持ちがわかるといやだなと思うことも受け止められたり、許せたりできます。そして本気で怒りをぶつけられます。私たちはもっと人とのかかわりを密にしなければならないのではと思うのです。 一日も早くおびえたり、苦しんだり、悲しんだりする人々が無くなりますようにと祈ります。
               2023年10月20日

一昨年保護者の方から「うちのベランダではうまく育たないので園においてください。」といただいたイチゴの苗が毎年花を咲かせ、とてもおいしい実をつけて子どもたちと「おいしいね。」と楽しんでいます。イチゴはランナー(水や栄養を送る管)を次々伸ばし、さきに小さな葉を次々つけ、あたかも手をつないでいるようにどんどん苗を増やしていきます。根をしっかり張ったら株になり自立します。寒い冬を過ごして春に花を咲かせます。でも今年は今も花が咲き小さな実をつけ色づき続けています。やはり、異常気象の為?子どもたちはつながるのが好きで手をつなぐのがうれしくて引っ張りすぎて転んだり、手つなぎ鬼ごっこをしたりと楽しんでいます。車を並べたり、汽車をつないだり、線路をつないだり、本を並べたりとつながりを好んでいます。人とつながるときには相手の事を知らなければ難しいこともあります。共通のものやこと、考えがなければ中になかなか入れません。ある試みで一体感を持つために前の人の肩に手を置いてつながって入場してみようと実践したところ良い結果につながったという事でした。つながるという事はそこにいる人が同じ思いでおなじ方向を向いているという事とたとえ考えが違っても一つになれる時間を作ることが大事なのだと考えます。個を大事にという世の中だからこそ他者を大事にし、つながれるところでつながっていきたい。
    (「2023年度10月めぐみだより」より)

「幼稚園は今」

願書受付を前に人の不安の中に入ってさらに不安にしたり、先取りしなければという思いにさせられてしまう現状があります。子どもの今は一年後いや半年後には大きく変化します。出来ることや理解すること、話すことなどあらゆる分野での成長は著しく想像をはるかに超えるものがあります。その時期にどんな場所で保育を受けるかという事はとても難しいと考えます。心の成長を一番に考える必要があると思います。就学前までの期間は親子の絆を作る時間をできるだけ多く持つことです。子どもが親が自分の事を大事と思っていてくれるという思いをもてるようにしたい。方法は各家庭で違うと思います、我が家なりの愛情の伝え方ができるといいと思います。世の中全体が甘くなっているので「いけないこと」は「いけないと言える」親でいてほしいと願います。こどもが幼稚園時代を楽しかったと思い、折に触れて思い出し、生きる力になって欲しいとの願いをもって日々保育を続けています。  9月22日 

「一緒に」
 本当に暑い毎日の夏休みでした。そんな中、保護者の方は一つでも多く楽しいこと、普段経験できないことをと計画されたのでは思います。子どもたちはそのような経験をすぐには話しませんが何かの折に思い出して話し始めます。聞く側とすれば「なんの話、いつの話」となる訳ですが子どもは時系列の中で話すのではなく自分の体験として腑に落ちた時に話すので聞き手が分かるという事が大事になってきます。そのためにはまず保護者と保育者が夏休み中の出来事を知ることから始まるでしょう。
 子ども同士、親子、他者との間での共通理解があるかないかでは一緒に活動するときに大きな開きが生じてきます。話し合うことが一緒にあそびを発展させていくカギとなります。友達の意見を聞いたり、自分の考えをいう中で分かりあうことができ、ひいては自分で考える基礎にもなるのです。親は子どもはわかっていることが少ないと思っていますがわかろう、知りたいという気持ちはとても強いと思います。聞かれたときにこたえられるように準備しておくといいと思います。だからと言って先走って興味のないことまで教える必要はないと思います。答え方にもいろいろあります。やってみたいと思うことを気のすむまでやれる環境が子どもが育つ一つの条件ではと考えます。子どもや保護者の方とと一緒に楽しみたい。        (8月28日)

「本当にそれでいいの?」
 「自分で考えて行動しよう」と子どもたちに話します。どうすればいいかを大人はいろいろ考えます。[たくさん知っているといいのではないか]とあれこれやらせてみる。はじめはいいが長続きしないと悩みます。挙句「行く行かない」で親子げんかになる。子どもがやりたいという事をやらせることも必要かもしれませんがそれよりも親子、兄弟、友だちと遊ぶことの方が考える糧になると考えます。普段からどうしたらいいかを一緒に考えることによって考え方の構築の仕方が育っていくのでしょう。まず親が手本を見せることかもしれまん。メディアの情報を鵜吞みにしたり、噂話を真に受けて信じたりなどせず、発信源を確認し世の中の情勢とあわせて自分で探しあてる習慣をつけたいと思います。「本当にそうかな。」と一呼吸することによって正しい情報を見出したいと思います。人との関わりによってこれらの事は経験できます。いろいろな人と関わりのトラブルを解決することによってはじめて自分で考えることができるようになるでしょう。相手を知ることから始まり、いろいろな考えの人がいることを知ることは大事な事でしょう。夏休みに子どもと話をしてみたらどうでしょうか。以外に子どもは考えていますよ。議論することも考えるにつながりますから。たちまちにどうすれば涼しくなるかを考えてみますか。         8月8日 

「ハンドベルの演奏を通して」
 毎年園児もハンドベルの演奏を通して平和記念公園のドーム前で演奏をします。ハンドベルが祈りの楽器と言われているので平和を願って演奏しようという思いから10数年前から続けています。音がうまく出せなかったり、タイミングが合わなかったりしながら、あきらめることなく「もう一回やりたい。」と言う。次の日も「今日も練習する。」と聞いてくる。楽しみなのがよくわかる。一週間ごとに音が出るようになり曲として聞けるようになる。楽譜を持っているわけではないので頼るところは先生と自分です。本番前一週間には満足のいく演奏になった。子どもたちは自信満々と言いたいところだが少し緊張すると言っていました。当日は観光に訪れている海外の方々も興味深く集まって下さり笑顔できいてくださいました。共に平和を感じあえたのではと思いました。自分の持ちベルをその時に鳴らすという事はとても難しいと思います。よく聞くという経験になり、曲が終わるまでは自分の出番がなくても終わりではないという経験にもなりました。思いを一つにする心地よさを感じたのではと思います。この経験が協調して物事を作り上げる基礎になってほしいと願います。猛暑の折無理せず休息をとりつつお過ごしください。      7月23日

「祈りあう」
 幼稚園では1日のうちに何度か祈る時間がある。朝の会でお休みしているお友だちのことを憶えて早く元気になりますようにと。一日楽しく遊べますように。世界の出来事に思いを傾けたり。争いが収まるように。などその日によって祈りは変わります。保育者の祈りの言葉を聞き共に祈る。お弁当の前には食べ物を下さったこと、作ってくださった人、食べる物のない人への思いなどを祈ります。お帰りのときは今日を感謝し、明日もまた来れますようにと祈ります。時に子どもに心の中で祈るのではなく声に出して祈ってもらうこともあります。別れるのは寂しいけれど祈りによってどこにいてもつながれることを知ることができる。自分も誰かに祈ってもらっていると思える。相手を思いやる気持ちが育っていくのでしょう。もし今の大人たちが祈りあうことができれば平和な世界を子どもたちに届けてあげられると思うのですが。早く早くとせかされる日々の中にも静かに自分を見つめる時間も大切にしたい。
 カメが新しく仲間になりました。古参のカメはのんちゃんと言います。子どもたちに「カメさんに名前を付けたらいいね」と言ったら早速みんなで話し合いが始まったようです。しばらくすると保育室から何やら大きな声がするので「どうしたの、大きな声を出して」と聞くと「いくつか候補があがったのでカメさんに決めてもらおうとしてるの」「名前をよんで一番よく動いたのにするんだ」と。カメ自身に名前を決めてもらおうとする子どもたちに脱帽です。子どもたちはよく聞き、よく見て、大人よりはるかに大きな世界で生きています。その世界を小さくするのではなくもっと自由に大きく広げられるように社会を作っていく義務が大人にあるのではと思います。幼児期に育つことは心に関する物が殆どです文字や算数より大事なものを忘れないでください。未来の社会の為に。

 「再建73年を迎えました」
 被爆後5年間教会の方々の努力によって現在の地に再開できました。建物はほとんどなく、まわりは田んぼと畑で現在の2号線まで見通せるほどでした。当時は己斐から電車に乗って通ってくる子どももあったようです。以来73年間「子どもにとって何が大事か」「いまの時期に育てなければならない事はなにか」を保護者のかたに協力していただきながら歩んできました。時代の流れは大きく変わってきました。便利になって機械の操作だけは小さな子どもでさえも上手になっています。そのことは次世代にどんな影響が出てくるかを案じなければならrないのではと思います。何かを手に入れようとすれば何かを手放さなければなりません。大切なものをなくさないためによく考えたいと思います。今少し立ち止まって子どもたちに何を残したいか、私たちが引き継いできたものは何かを考えrる時間をもてたらいいなと思います。幼児教育の原点は心を育む事ではないだろうか。毎年いろんな年代の卒園生が訪ねてくれる。卒園アルバムをもって来て確認したりする。こんなに小さかったんだと椅子に腰かけたり、段の高さを確認してびっくりしたりと1時間近く思い出に浸っていきます。幼稚園の役割の大切さを感じます。いつでも迎えられる場所であり続けたい思います。           6月15日

「子どもの目線と大人の目線」
 子どもが迷子になるのは「森の中を歩いているようなものだからだ」と聞いたことがあります。大人の足があたかも木のように見え、手を離したとたんについていくべきものを見失ってしまうというのです。そんな馬鹿なと思いますが上を見上げて親の確認をするには目線が届かない場合もあります。だから手を離さないでと言われるのです。逆に大人には地面に近いところは見えにくいものです。小さな石や虫、挙句はごみと思しきものまで見つけます。現代は子どもの目線に降りることが少なくなっている気がします。子どもを大人の側に引き上げてしまっています。もっと子どもが遊ぶ遊びを大切にしたいと思います。今しかできないあそび(大人にとっては迷惑な事)が十分できる環境を作りたいと思います。同じ本を毎日読んでと持ってくる、水の流れや泥水を楽しむ、やってほしくないことをする子どもについやめなさいと言い、静かに遊ぶ遊びと交換させてしまう。これでは自分で考えるとか挑戦するという心は育ちにくいかもしれない。日本人は同調性の強い国民だと言われますが個を大事にすることは自分を確立するために必要な事ではと考えます。子ども時代のない子どもが育たないために大人は何をどうするか考えたい。        5月16日

「緑に思う」
 春の山を見ていると萌黄色から深緑まで何色の色鉛筆がいるのだろうと思うほどに緑色の競演で彩られています。灰色ががかった山が次第に明るくなる様子は心も温かくなります。これからは緑もまた彩を変えていく事でしょう。園庭の鉢植えの花木は思わぬ大雪に見舞われたり、寒暖の差が激しい日が続きダメージをうけた様にみえました。しかし枯れ枝のようなところから小さい緑が見えた時「頑張ったね。」と声をかけました。もう花を見ることはないと半ばあきらめていた時に見つけた緑は大きな安堵と喜びでした。植物の生命力の強さに感心しきりです。さらに驚くことは種の強さです。3年前に中学校からいただいたスノーボールデージーが毎年種を飛ばして春に花を咲かせるのです。その他園庭は飛び散った種によっていろいろなところで花を咲かせています。そのなかでどうしてもわからない苗に出会い去年のことを思い出し手も特定できないままに日が過ぎました。ふと保育者がスマホを使って花の名前を特定していたことを思い出しかざしてもらいました。去年買って植えたニゲロとわかりました。種を飛ばす範囲の広さに驚きました。春の緑は忍耐と希望と喜びをもたらしてくれます。緑と出会って!                                        
                  4月19日

「卒園おめでとうございます。」
 15年の時を経て沖縄から持ってきた桜の苗木に 花がさきました。3月に沖縄の研修旅行に行ったとき、戦跡の壕の中から出たところで手渡されたのです。「沖縄のさくらんぼです、育ててみませんか?」と。気候が違うので育つかなと思いつつ、どんな花が咲くのだろうとの思いが上回り、つい受け取ってしまいました。それから毎年葉を茂らせ、紅葉を繰り返し、幹も太くなって周りの木に負けないほどになりました。それでも花は咲きません。業を煮やした私は剪定と称して花が咲かないのなら全部切ってしまうよ。なんとしばらくしたある日桜の枝にピンク色の花をつけました。とてもうれしくて合う人ごとにお知らせをしました。名前は寒緋桜だそうで実は食べられると書かれていました。今は欲が出てさくらんぼのできるのを楽しみにしています。あるべき姿になるために一つ一つに決められた時間があることを改めて感じました。卒園した子どもたち一人一人にもできるようになるための各々に違った時間が用意されていると思います。その時を焦らずに待ちたいと思います。子どもたちはやってみよう、最後までやる抜く、思いやる、力を合わせる事など多くのことを自分のものにしました。どんなことがあっても時間がかかっても乗り越えられると信じています。いつでも遊びに来てください

2022年も残り少なくなってきました。コロナ感染症とも上手に付き合えるようになってきているようです。「見える化」が当たり前のようになっている今、聞くことの大切さに目を向けていきたいと考えます。小さな「コトッ」という音と「ガタン」という大きな音の間にどれだけ多くの物語が詰まっているかと想像すると楽しくなります。音は想像力を掻き立てます。耳慣れた音にはさほど反応しませんが聴きなれない音だと「何だろう」と思い、「何が起きたのか」「どうなっているか」を想像します。いわゆる非認知能力のひとつの大事な感覚を育てるのです。鳥の声、風の音、水の流れの音、葉っぱの落ちる音、雨の音など自然の中の音を聞くことも楽しく有意義な事です。子どもと一緒に音当てクイズをするのもいいですね。喧騒の中から抜け出し、静かな時間を持つのも必要な事なのではと思います。   12月12日             

「暑中お見舞い申し上げます。」
 気候変動によって地球上で多くの変化がおきています。「気象病」という言葉に納得している自分がいます。モヤモヤとした気持ちの解決策をもとめています。 子どもたちはそのような中にあっても一学期を楽しく元気に過ごせました。あゆつかみはたくさんのあゆに驚いたり、怖がったりしながらも時間とともに追いかけまわし捕まえられたことに大喜びする姿がみられました。お昼ご飯にアユの塩焼きを食べました。自分で捕まえた魚を食べる事によって命について子どもなりに考えられたのでは思います。忍者修行を体験した年長さんは園の中で再現しようと試行錯誤し年中少さんと一緒に遊ぶ姿もみられました。粉粘土の遊びではいつも使っている粘土との違いや全身で遊ぶことによって解放感に満たされた笑顔にあふれていました。一学期最後のお泊りは大朝にでかけました。泣きたい気持ちをぐっとこらえてバスに乗り込みお母さんに手を振る姿もさることながら送る側の気持ちはいかばかりかと思います。友だちとのわずか一晩の経験は二学期につながっていきます。川遊びやかえるやバッタ、めだかやオタマジャクシなどなど。子どもたちの五官は開き、夢中になっている姿は本来の子どもはこうなのではと思います。夜の体験は中々なもので蛍に出迎えられ、満天の星を首が痛くなるまで見上げたり、最後は花火。各々寝る場所を決め、おやすみなさい。次の朝は鳥の声で目覚め、朝食後森へ散歩へ出かけました。大きな木に隠れたり、倒木に乗ったり、笹船を作って流したりと自然を満喫しました。暑い夏、生活リズムをなるべく崩さずにお過ごしください。
                7月24日